ここは、とても心地がいい。
おなかいっぱいになった午後、窓から入り込む日差しは優しくて、
すぐ寝入ってしまいそうになる。
まるで猫になってしまったような気分だ。
元の世界では、こんなに安らいだ気持ちになることは、ほとんどない。
ずっと居たくなってしまいそうになる。
そんな3日目の午後だ。
これが私の幸いです
−カカシ視点−
どうしよう。
俺は今、手の中で震え続ける”携帯電話”とやらを前にして途方にくれている。
は”コンビニ”に買い物に行くといって部屋を出て行ったきりだ。
自分もついて行くと言ったけど、すぐ用事が終わるからといって1人で行ってしまった。
多分、財布と家の鍵しか持って行かなかったんだろう。
彼女が出かけてしばらく経った今、机の上の”携帯電話”が振動しはじめた。
使い方を学んではいたが、流石に今、それを実践するわけにはいかない。
この電話に出るのは、プライベートに介入するという意味では、こっそり他人の日記帳を読む行為に等しい。
だからといって震え続けるそれが気になって放置することもできず、ただ握り締めるしかない。
この震えは、肩凝りをとるマッサージに代用できそうだな。
そんなことを考えていたら、の『ただいまー』という声が部屋に響いた。
「!いいところに!これ!」
「え?あ、電話!?」
が電話に出るのを見届けると、そっとベランダに出て後ろ手で窓を閉め、手すりに体重をかけた。
電話に出ている会話を聞いているのも、こっそり他人の日記帳を読む行為に等しいと思えたから。
話す内容を聞かないように、俺はそういう時はいつもベランダに出て外の景色を見るようにしていた。
タバコを吸わない人と一緒にいる喫煙者の肩身の狭さが、今ならよく分かる。
元の世界に戻ったら、アスマを労わってあげようかな…。
元の世界に………。
俺は、後ろを振り返り、未だ電話中のの横顔を眺めた。
最初に呼び出されたことを知った時は、とんでもないことだと思った。
消化しきれない憤りが自分の奥底でくすぶっていて、傷つけてしまうと分かっていても、それを思わず
口にしてしまいそうだった。しかしその行動を引き止めたのは、土下座しながらも微かに震える彼女の姿だった。
彼女も俺と同じように、驚き、動揺しているのだとわかった。そしたら、怒る気にはなれなかった。
ここで2つ疑問がある。
まず1つ目。あの謎の本を手にいれたルートだ。彼女の部屋には、あの謎本のような類の本がある形跡はない。
一体、何の経緯があって、あの本を手にしたのだろうか。
2つ目は、彼女が俺を呼び出した理由だ。彼女は、『冗談のつもりで願ったら』と言っていた。
もしかしたら彼女は、本当はかなえたい願いが別にあるのに、本の力を試すつもりで『冗談』のようなことを願ったん
じゃないだろうか。彼女の本当の願いは、一体何だ?
これらは、彼女自身の口から聞かなければわからないだろう。
「………あの、カカシさん。どうかしました?」
「へ、おぁ、電話終わった?」
いつのまにかが窓を開けて、俺の顔を覗き込むようにこちらを見ていた。
傍に人が来たことに気づかないなんて、忍びとしてあるまじき失態だ。
けれどそんなことよりも、彼女の状態の方がなんだか気になった。
「俺はただ考え事してぼーっとしてただけなんだけど…そっちはどうかした?」
「え?私?私はどうもしませんけど。」
「それにしちゃあ、そわそわしてる。」
はどこか、落ち着かない感じに見える。なんというか、俺に何か言いたいけど、言いにくいみたいに、
ちらっと俺のことを見ては、遠くを見てため息をついてみたり、下を向いて唸ったり。
明らかにどうかしている行動をとっているのに、気づかれていないと思っているのはある意味すごい。
俺の指摘に彼女はうっと息をつまらせ、渋々口を開いた。
「う……えっと…その………。」
「恋人にデートに誘われたとか?さっきの電話の内容。」
「違います!恋人なんて居ません!」
ちゃかして聞いてみたら、はムキになって息を荒げた。
からかうと弾むボールのように反応をすぐ返してくるのが面白かった。
そしてそんな彼女の言葉に、どこかほっとする自分が居た。
「あ、でも完全に間違いではなくて…あの……実は………。」
「実は……?」
「1日だけ恋人になってください…。」
普通、1日限定の恋人になることを頼まれるなんて、遅刻しそうになってパンくわえて走る人にぶつかる
のと同じくらい低い確率だと思う。俺自身も酷く驚いたが、理由を聞いて納得した。
電話をしてきた相手は、友人。には別れた恋人が居たらしいが、その友人には『別れた』ことをまだ告げていなかったらしく、
恋人を紹介してくれと言ってきたらしい。
もう別れたことを告げる間もなく、会う約束をとりつけられて一方的に電話を切られた…と。
電話を仕返してみたが、相手は『けんがい』とかいう電話できない区域に入ったのか、電話が繋がらなかった
らしい。
と俺は、待ち合わせの喫茶店に向かうことになった。
−視点−
「熱視線、必要以上の接触……。」
「どうかした?」
口からぽろっと零れ出た言葉に、カカシさんが私を見下ろす。
私はずっと考えていたことを述べた。
「えっと…恋人らしい行動ってどうだったかなって思いまして。だって熱々な時って、自分がどんな行動を
とってるかなんてかえりみたりしないでしょう?それが周囲にひんしゅくを買う行動だとしても、本人達が
幸せだったら気づかない。だから、改めて恋人らしい行動を考えないと、演じることが出来ないと
思いまして。」
「そうだね。恋人同士の行動…か。その辺を歩いているカップルを観察するのもいいかもね。」
私はふむふむと頷き、傍を通り過ぎるカップルを眺めた。
人目をはばからずイチャイチャする姿は、羨ましいというよりは目が痛い。
けれど、参考になる部分はいろいろあった。
「こんな感じ?」
カカシさんは背中から私の腰に手を回し、ぐいっと自分の方に引き寄せた。密着度の高さのせいか、
ドキリと心臓が跳ねた。
ドクンドクンドクンドクン。
相手の心音や吐息さえも聞こえてしまいそうな距離に、顔が朱に染まる。
このままの体勢でいたら、心臓が壊れそう。
「いや、あの、今実践しなくてもいいですから!えーっと…カカシさんが好きな人にしたいことをすれば
いいんですよ!これです!だから今はしなくていいです!」
「リハーサルだよ。なるほど、好きな人にしたいことね。」
カカシさんには、からかいモードのスイッチが入ったようだ。
こういうとき、私で遊ぼうとでもいうのか何を言っても無駄だ。
もがいても、笑って身体を離そうとしない。
先程参考にしたカップルは、人目をはばからずにキスしはじめた。
「。」
私を見るカカシさんの瞳が急に真剣になり、心臓がガシリと掴まれた。
腰に回っていた手は私の腕を引き、カカシさんと私はビルとビルの陰に入り込んだ。
奥へ奥へと進むと、壁が目の前に立ちはだかった。行き止まりだ。
そこはまったく人通りがなく、大通りの喧騒も遠くに感じる。
「カカシさん?何を……。」
「俺なら、他の人に見えるところではしない。やっぱり2人きりの時がいいからね。」
アゴに手を添えられ、ぐいっと上へ向けられる。
真っ直ぐ瞳を見返すことが出来なくて、私は目を逸らした。
ドッドッドッドッドッド。
心臓が尋常でない動きをしている。恥ずかしくて死にそうだ。
「俺を見なよ。」
まるで糸であやつられたマリオネットのように、私は逸らした目をカカシさんに戻した。
もう目が離せなかった。逃げられないようにする為か、ぎゅうぎゅうと私の腕が握られる。
至近距離に顔が近づくにつれ、息も満足にできない。
腕を掴まれていなくたって、逃げることなんか出来そうも無かった。
「冗談冗談。」
あと5センチというところまで近づいていた顔は言葉と一緒にすぐに離れた。
カカシさんは私の右手を紳士のように恭しく持ち上げ、手の甲に唇を落として見せた。
冗談とかリハーサルという言葉ですませてしまうには、あまりにもリアルすぎだった。
自分のあのドキドキは何だったというんだ。
沸々と私の頭は沸騰していった。
「………バカッ!!!!」
半泣きになって叫び、掴まれていた腕を振り払って通りに出た。
もう待ち合わせなんてどうでもいい。
あんな人知るもんか。残りの4日を、適当に過ごして勝手に帰ってしまえばいい。
「あ、!」
「あ…………。」
待ち合わせ場所で会うはずの友人が、横断歩道を渡って私の居る通りに向かってくるのが見えた。
ぐちゃぐちゃの気持ちを振り切るように目元をぐっと袖で擦り、私も友人の方に近づく。
友人の霞(かすみ)は、一度会ったことのある恋人を後ろに連れていた。しかし、その後ろに別の男性も付き添って
ついてきたのを不思議に思った。
「久しぶりね、。待ち合わせ場所に行く前に会っちゃったね。あ、この私の彼には一回会ったことあるでしょ。」
「あ、どうもこんにちは。」
「こんにちは。」
目があうと、その彼は気持ちの良い笑みを浮かべて好印象だった。
友人と寄り添う姿は、とてもお似合いのカップルに見えた。
「ところで、後ろに居る人は……?」
会話に入り込む隙間が無い為か、2人の後ろで居場所なさげにこちらを見ている男性と目があう。
先程、ついてきているのを不思議に思った男性だった。友人の彼氏と少しタイプが似ているが、
通った目鼻立ちが印象的だ。
「あ、ごめんごめん。実は、あんたを無理に呼び出したくってあんな電話したの。
あんたにすでに恋人が居ないのは調査済み。あんたにいい人を紹介してあげたくってね。」
「え…ちょ……それならそうって言ってくれれば。こっちにだって準備ってものが…。」
「驚かせたかったのよ。彼氏の友人が今、相手を募集中でね。あんたを紹介してあげようかと思って。
それとも、今、特定の相手はいるの?言ってないだけで。」
「それは………。」
頭の中に、カカシさんのことを思い浮かべる。
刹那、先程のことが脳裏にビデオテープの再生ボタンを押したみたいに鮮明に再現され、
いたたまれなさと共に、怒りも復活した。もうどうとでもなればいい。
そもそも後、4日で帰ってしまう人に恋人役をまかせようとしたのが間違いだったんだ。
だったら、カカシさんのことを忘れる為に、恋人を作った方がいいじゃないか。
もう、自暴自棄になっていた。
「そんな人、居ない。」
「それは無いんじゃない?酷いなぁ。」
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