ライガの住処。それはチーグルの住処から少し離れた、森の奥深くにあった。
他の魔物もライガの存在に怯えて寄り付かないのか、そこに近づくにつれて
次第に出会う数も少なくなっていった。それと共に、我々の表情にも険しさが増し、
言葉も少なくなっていく。
もし交渉が決裂すれば、戦闘は免れないだろう。そんな思いが、緊張感を
あおる。
そんな中ルークだけは状況の深刻さをあまり理解していないようで、
ただ歩いているだけなのがつまらないのかミュウをおもちゃにして暇をつぶして
いたが、
「ここがライガの住処ですの!」
ミュウが一際大きな木のうろを前にして叫ぶと、ほんの少しだけ眉間に皺を寄せた。
そこは明るい光に満ちていたチーグルの巣とは違って、深海に沈んだ古都のような
闇に満ちていた。枝の隙間から降りるわずかな陽の光が、それをさらに際立たせていた。
「いきましょうか……。」
緊張の面持ちでイオンが告げると、顔を見合わせて頷き中へ入る。
するとそこには、大きなライガが鎮座していた。私たちの存在に気づくと、ライガは
唸り声をあげてするどくこちらを睨んだ。
けれど普通の人間には、何を言っているのかさっぱりわからない。
「おい、アイツ…なんて言ってるんだ?」
「卵が孵化するところだから…来るな…と言ってるですの」
その言葉にティアとイオンが驚き息を呑む。
それは事実のようで、ライガの身体の下に白いものが見え隠れしていた。
「いけません、卵が孵化すれば、ライガの仔が村を襲う可能性があります!」
「どういうこと?」
「ライガの仔は人を好むのよ。だから街の近くにライガが住み着いた場合、
繁殖期前に狩り尽くす決まりなの。」
「そ…その前にまずボクたちを殺して仔どもの餌にするって言ってるですの!」
「殺す!?」
このセリフ、今日で2度目だ。
けれど1度目よりも、2度目はリアルな実感がこもっている。
これは、どう考えても交渉なんて出来る状況ではない。
ライガはすでに卵を産み終えている上、生憎、この地はエンゲーブに近く、
ライガにとっては好条件。
どう交渉したところで、移動してくれるはずがない。
最初から交渉が決裂するのが決まっていたようなものだ。
「ミュウ、彼らにこの土地から立ち去るよう言ってくれませんか?」
「は…はいですの!」
念のため交渉を試みようというのか、イオンがミュウに頼む。
けれどそれはやはり無駄に終わった。
ミュウがその意を伝えた途端に大きく唸り、その声に
びりびりと鼓膜が振るえ、思わず目を閉じて耳を塞いだ。
「交渉決裂のようね。」
「戦うしかないってのかよ…。」
「仕方が無いわ!とイオン様は下がっていてください!」
ルークとティアが武器を手に構えると、ライガは凄まじい雄たけびをあげた。
ルークが剣をライガに振り下ろすと、ライガはそれを後ろに下がって避け、
そのまま爪で襲い掛かった。何とか剣でそれをはじいて切りつけるが、
それは相手にあまりダメージを与えていない。
「くっ…武器が効かねぇ!」
「このままじゃきりが無いわ。」
ティアとルークが何度も攻撃を仕掛ける。しかし、少しづつダメージを与えて弱らせようにも、
そのダメージが微々たるものなので、終わりが見えない。
私にも何か手伝いが出来れば良いのに、まだ回復程度のことしか出来ないので
戦闘に参加すると邪魔になるだけだ。
私は悔しくて唇を噛み締めた。
私に出来ること…私に出来ることは何?
気だけが焦って、ただ黙って見ていることもできない。
このままでは、2人の体力が無くなって弱ってしまう。
今の私には戦闘を手伝うことは出来ない。
でも……。
「イオン!誰か、助けを呼んできます!」
「!?1人で森に出ては………!」
私に戦闘を手伝うことは出来ない。
だけど、助けを呼ぶという形で2人を手伝うことならできる。
イオンが止めるのも聞かず、ライガの巣の外へと走り出る。
すると、遠くから誰かがこちらへ向かってくる姿が見えた。
青い軍服のその人は、私の存在に気づくと一瞬足を止めた。
助けになるなら誰でもいい。
その人は、どうやらエンゲーブで会った、あの軍人男性のようだった。
「御願いします!助けてください!私の仲間がライガと戦闘中で…。」
「貴方はエンゲーブの…。どうやらお困りのようですね。お手伝いしましょう。」
男性は緊迫した状況であるというのに、場違いな笑みを浮かべた。
「ロックブレイク!!!」
矢の様にするどく尖った岩が地面から飛び出し、ライガを貫く。
ライガは痙攣してぐったりと倒れ、霧散して消えた。
「よかった、みんな助かった。けど……。」
「なんか後味悪いな…。」
後には無残に壊れた卵の残骸だけが残されている。
助かる為とはいえ、これから生まれようとする命さえも奪ってしまった。
それはあまり喜ばしいことではない。ルークも私と同じ気持ちのようだ。
やるせない思いでそれを見つめていると、ティアが水を差すように声をかけた。
「優しいのね。…それとも甘いのかしら。」
「……冷血な女だな!」
ティアはもしかしたらこういう状況に慣れているのかもしれない。
だけど、私の世界では…少なくとも日本ではこういう状況になることは
ほとんどありえない。だから、殺すという行為に慣れてしまっているティアを
悲しく思った。
私はやるせなさを昇華できず、その場を離れ、残骸に向かってそっと手をあわせる。
すると、先程までイオンと話していたはずのあの男性が、いつのまにか
私の背後に立っていた。
「お怪我はありませんか?」
「はい、大丈夫です。え…と…?」
助けてくれと頼んだものの、そういえばこの人の名前を一度も聞いていなかった。
それに私も、自己紹介を一度もした覚えがない。
「ジェイド・カーティスと申します。マルクト帝国軍第三師団に所属しています。」
「あ、私はと申します。助けていただいて有難う御座いました。」
「いえ、私もこちらに用がありましたから、そのついでです。ところで、今、何を
されていたのですか?」
「え……と……。」
手を合わせていたと言ったところで、仏教のことが分からないであろう人に
どう説明すればいいのだろう。簡単に説明できる言葉と言えば…。
「生まれるはずだった新しい命を奪ってしまったので、お別れとお悔やみを込めて
お祈りを。」
「お祈り……。ですが、その命を奪わなければならない状況だったのでしょう?
そんな彼らの為に祈るのは、おかしくないですか?」
「おかしく……。」
おかしくない……とはすぐに返せなかった。恐らく、彼は考え方がティアと同じなのだ。
最初は、ライガと交渉する為にここに来た。交渉が決裂すれば、戦闘は免れない。
それは何となくわかっていた。けれど、ライガはすでに卵を産み終え、移動するなんて
ありえない状態だった。
交渉が決裂すると、すでに定まっていたことになる。
その上、ライガ共々、命を奪うことも定まっていた…と。
極論で言うなら、命を奪う為にここに向かい、その結果、命が奪われたようなものだ。
起こるべくして起きたことを悔やんで祈るなんて…何だか矛盾している。
でも…。
「でも気持ちとしては、最初からその命を奪いたかったわけじゃありません。
だから、少しでも安らかな気持ちで逝って欲しいんです。奪われた方にとっては
矛盾しているかもしれませんけど…。」
それが私の、今の気持ち。
私がそう告げると、ジェイドさんはまるで自嘲するような笑みを浮かべた。
「そうですね。そういう考え方も、ありますね。」
それは、私とは同じ目線でモノを見れないと、自分と私は違うのだと、境界線を
ひかれたように聞こえた。
チーグルの巣に戻ると、私たちの帰りを待ちわびていたかのように、数匹の
チーグルが外まで出てきていた。
「みゅみゅ…みゅみゅみゅう。」
「ん?」
小さな声が足元から聞こえ、つんつんと靴下を引っ張られる。
俯くと、一匹のチーグルが私をじっと見つめていた。
「みゅみゅみゅ。」
「……うーん……何が言いたいんだろう。もしかして、君はさっきのチーグル?」
何を言ってるのかさっぱりわからない。けれど私が尋ねると、そうだといいたげに
飛び跳ねた。しゃがみこんで頭を撫でてやる。
「もう痛いとこない?」
「みゅみゅみゅうみゅう。」
ダメだ、さっぱりまるっきり全然わからない。
「、中に入らないの?」
もうすでにルーク、イオン、ジェイドさんは巣の中に入ったようで、目の前には
ティアしかいない。
「私はいいや。さっきも入らなかったし、この子の相手をしてるよ。」
「そう…?この辺りは魔物も少ないようだけど、一応気をつけてね。
何かあったら大声をあげてね。」
そう告げて、ティアは巣の中へ入っていく。
ティアはどこか羨ましそうな目でこちらを見ていたような気がしたが、
多分気のせいだろう。
しばらく相手をしていたが、やっぱり何を言ってるんだかわからなかった。
しまいには他のチーグルまで私を囲んで何か言っている。
でもやはり何を言ってるんだか……。
相手をしているとは言ったもののほとほと困り果てていると、みんなが巣から
出てきてくれたので正直ほっとした。
ルークの肩にはチーグルのミュウが鎮座している。
どうやら、ミュウも一緒に行動することになったらしい。
さて、私はこれからどうしよう。
ジェイドさんとイオンはわからないけれど、どうやらルークとティアは、ルークの
家に向かうつもりらしい。
帰るところがない私としては、今後の身の振り方に悩んでしまう。
あてもないし、ルークとティアに着いて行ってみたい。
そんな風に結論が出たちょうどその時、あの宿屋前であったツインテールの
少女が、森の出口でこちらに手を振っているのが見えた。
「イオン様、大佐〜!待ってましたよー!」
「ご苦労様です、アニス。タルタロスはどうしました?」
「森の外でちゃんと待機させてますよ。大佐が大急ぎでって言うから
頑張っちゃいました!」
「待機…?」
ルークがつぶやくと、待ってましたとばかりに、アニスと呼ばれた少女の背後から
大きな甲冑をつけた兵士がぞろぞろあらわれ、蟻一匹逃がさないという風に出口を
封鎖した。
「正体不明の第七音素を放出していたのはあなたたちですね。あなたたち2人を
拘束します。」
ジェイドさんは、ティアとルークに目を遣る。
「ちょ…どういうことだよ!」
「ジェイド、2人に乱暴なことは…。」
「ご安心下さいイオン様。何も殺そうというわけじゃありませんよ。」
ジェイドさんは一瞬間をおき、口角をあげた。
「2人が抵抗しなければですけれどね…。ちなみにそこの女性はまったく関係の無い
エンゲーブの方です。警護してエンゲーブまで送り届けてください。」
兵士がルークとティアを取り囲んで無理矢理外へと連行すると、ジェイドさんは紳士の
ように恭しく私に礼をして、アニスとイオンと共に森の外へ出ていく。
私はあっというまの別れに、呆然と立ちすくむしかなかった。
next
back
次はマルクトに向かいマース!