「私、彼と付き合うことになったの…。相談にのってたし、悪いとは思ったの。
でも、私も好きになっちゃって。告白したらOK貰えて……って、ゴメン。
謝るべきなのに、何言ってるんだろ私ったら。」
親友だと思っていた奴にこう言われたのは、放課後のこと。
一瞬で周りの音が消え去って、頭から冷水を浴びせられたように、つま先まで体が冷たくなった気がした。
そして今度は、心臓の奥の方から黒くて熱いものが噴出して、頭へと登っていく。
そういえば、なんで気づかなかったんだろう。
最初は私の方が彼の情報をたくさん手に入れていて、あいつに嬉々として話してた。
でもいつのまにか、私が知ってることよりあいつの方が、知ってる情報が上回ってなかったか?
それはもちろん、『私の為』に情報を手に入れてくれていたんだと信じていた。
親友だからって、過信しすぎていた。
あいつは私を出し抜いて、彼女の座をあっという間に奪っていった。
怒りと嫉妬がまじって、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
「………今、あんたの顔見たくない。」
その言葉をなんとか喉から搾り出すと、その場から逃げるように教室を飛び出した。
廊下を走っていると、小さくすすり泣く声が耳に入った。
本当に泣きたいのは、こっちだ。
* * * * * * * *
「バカヤローーーーーーーーーー!!!くそったれーーーーーーーーー!!!」
私は学校近くの河原で、向こう岸に向かって大きく叫んだ。
叫んでも叫んでも足りない。
河川敷沿いの道を通る人がどんなに怪訝な目で見ようとも、私はなりふりかまわず叫んで、
叫んで叫んで叫びまくった。
先程までまだ頭の上にあったと思えた太陽が、いつのまにか山の向こうへ消えようとし、
空はオレンジ色に染まっていた。
「バッカヤローーーーーーー…くそば…か…。」
喉の調子がおかしくて、声も尻つぼみに小さくなる。
無理に叫んだから、喉が痛い。
私は喉をおさえてしゃがみ込み、今まで生きてきた人生で一番深いため息をつく。
息をついた途端に肩の力も抜け、やっと心も落ち着きを取り戻しつつあった。
そういえば、教室にカバン置いたままだ。
心に余裕が生まれると、忘れていたことをするっと思い出す。
さっきまでは、怒りがいっぱいで何も考えられなかったからなぁ…。
もう、あいつも居ないよね。
ヨッコラショとばばくさい掛け声を口にしながら立ち上がると、ドカっと音を立てて見覚えのあるカバンが足元に落ちた。
カバンについているミッキーのキーホルダーが、私の持っているものと合致する。
「カバン。俺、頼まれたんで。」
その声の方に顔だけ向けると、図書委員の後輩が数メートル後ろに居た。
といっても斜面だから、距離的にあまり遠くに感じない。
こいつは私の想い人と同じ部活だし、関係ないけどなんとなくヤダ。
見るだけで、思い出して気持ちが沈みそうになる。
でも気丈さをなんとか保って、カバンを拾う。
頼んだのは、多分あいつ。
余計なことしなくていいのに。
「何で越前が頼まれてるのよ。」
「図書委員のお知らせの紙を、各教室の委員に渡すように頼まれたんスよ。
教室で先輩のこと尋ねたら、カバン渡されました。あ、紙は机の上に置いておきましたから。」
「なんで私の居場所わかったのよ。」
「先生に先輩の家の住所聞いて、そこに行く途中で声が聞こえたから。」
「……………いつからここに居たの?」
「今は、5時半だし……ちょうど1時間前っスね。」
越前は腕時計をチェックすると、さらっと答えた。
つまり、ずーーーっと私が叫んでいるのを聞いていて、私が落ち着いたのを見計らって
声かけた……?
途端に自分の行動が恥ずかしく思え、カバンを意味もなくぶんぶんと振り回した。
知らない人間ならまだしも、知っている人間に自分の愚かな行動を知られること程
恥ずかしいことはない。
しかも越前は、「部活の発生練習だ」なんてごまかせる相手じゃない。
私が帰宅部だってこと、知られてる。
こうなりゃ自棄だ。
「越前…ちょっと付き合いなさい。付き合うわよね?」
「……別にいいっスけど。」
私の威圧的な声にびびったのか一歩後退りしたものの、越前は頷きながらそう答えたので、
彼の腕を引いて鉄橋の下に連れて行き、そこへしゃがみこんだ。
夕陽がもう半分以上が山に隠れている為か辺りは次第に闇がひろがりつつあり、鉄橋の影にいると
なおさら暗く感じた。
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「…………というわけで…相談した相手に好きな人とられちゃったわけよ。もう、笑うしかないよね。」
自棄になった私は、今日あったことを全部すぱーっと越前に話して聞かせた。
自分がどれだけ愚な道化者だったかを。
越前は私が話し終わるまで、ずっと黙っていた。
私はというと、全部話し終えてかなりすっきりした。
やっぱ人に話しを聞いてもらうと、相手に心の重荷を渡しちゃうことにはなるけど、
すっきりする。
私が、笑いを交えながら話し終えると、先程までずっと黙っていた越前がぽそっと口走った。
「そこは、笑うとこじゃなくて泣くとこじゃないんスか。」
「何言ってんのよ。こんな程度の事で泣くほど馬鹿じゃないわ。」
「でも……泣きそうな顔で笑ってるじゃないスか。」
「え……。」
カバンを探り、取り出した鏡で自分の顔を見る。
そこには、暗闇の中で悲しそうに笑みを浮かべる女が1人。
「ホントだ…変なの。おかし…い…ね…、おかしいよ。はははっ。」
「見られたくないなら、背中貸します。」
「………何言ってるの…泣かないって…ば。」
越前が背中を向けるのを合図に、私の瞳からは大量の雫が零れ落ちた。
彼のシャツを強く握り締め、先程痛んでもう出せないと思えた声がほとばしりでる。
私、本当にあの人が、好きだったんだ。
喉の奥から搾り出すように出る嗚咽が止まらない。
小さいはずの彼の背中が大きく感じた。
どれくらい時間が経っただろう。
まわりを見回すと、いつのまにか辺りはもう真っ暗に近くて、家々から漏れる灯りがちらちらと目に入る。
越前が白いシャツを着ているので、姿もやっとぼんやりわかる程度。
私が泣き止んだのを見計らったように、越前が私に声かける。
「もう、落ち着いたんスか。」
「…落ち着いたっス。」
ずっと座っていたからか、体が硬くなってつらい。
立ち上がって伸びをすると、越前も同じように伸びをした。
鉄橋の下から出ると、月灯りが私たち2人を包む。
月灯りで、今度ははっきりとお互いの顔も見れた。
「俺のシャツがグシャグシャ。」
「背中貸すって言ったのはあんたでしょ。」
「シャツ貸すなんて言ってないっス。しかも、目元が腫れて変っス。」
「煩い!涙は女の戦闘服なの!戦いの後に傷だらけになるのは、どんなヒーローも当たり前!」
「まぁ、変だけど………泣きそうな顔で笑うよりは、魅力的っス。」
「……有難う。」
あんなにさっきまでつらかったのに、自然と笑顔がこぼれた。
* * * * * * * * *
あの日からもう数日が経った。
あの翌日にも越前に会ったけど相変わらず生意気な態度で、前日のことには何も触れなかった。
まぁ、越前らしいといえば越前らしいけど。
親友だったアイツとは、あれ以来話していない。
行き辛くてたまらなかったけど、私はテニスコートへ足を伸ばした。
ずっと図書委員会にも出ない上に、当番の日にも顔を出さないあのチビに
怒りの鉄槌をくらわせる為に。
テニスコートは相変わらず、大勢の女子がフェンスの周囲に群がっていた。
動物園の人気者を見るお客みたいだ。
「キャーーーーーーーー!不二くーーーーーーん!!」
好きな人の名前を呼ぶ黄色い声に、思わず体がびくっと反応してしまう。
名前を耳にするだけで、胸がぎゅっと締め付けられる。
あぁ、まだ諦めきれないくらい好きなんだと、改めて実感してしまった。
もう不二くんへの想いは、あの日に叫び尽くして捨てたと思ったのに、身体は正直だ。
心のどこかで、私の逃げ場のない想いが彷徨って、叫び声をあげているんだ。
目をコートに向けると、私は自分の瞳をえぐりだして捨てたくなるくらい後悔した。
テニスコートで菊丸くんとラリーをする不二くん。
その脇のベンチでそんな2人を見つめる、ジャージ姿のあの女。
ラリーを終えると、意味深に目配せしあう2人。
見ていたくないのに、目が離せなかった。
「いやーーーーーーーー!不二くんに近づかないでーーーーーーーーーー!!」
コート内に向かって叫ぶ女子ファンの声が、私の頭の中にも大きく響く。
彼女達が叫ばなかったら、私がそう言っていた。
心臓の奥から黒くて熱いものがこみあげてくる。
私は無理矢理目を閉じてその方向から顔を背け、俯いてフェンスを掴んだ。
ぎゅうっと強く掴むと、金網が指を締め付ける。
この痛みは、私の心の痛みだ。
つらい、苦しい…
「そんなに握ってて、痛くないんスか?」
心配そうというよりか、何やってんのコイツって感じな声が真正面から聞こえる。
顔を上げると、本来の目的でありターゲットである越前が居た。
「煩い。そんなことよりも、あんた何で委員に来ないのよ!」
あの女への怒りの気持ちを、越前への怒りへとすりかえる。
こうでもしないと、怒りの昇華が出来ない。
「特訓してたから。」
「特訓って…テニス?そんなもん理由になるか!!」
「すぐに超えたい相手が居るから。特訓でもしないと、無理だし。」
「いくら超えたい相手が居たとしても、ダメッ!次の委員会には参加しなさい!
今週の当番日は、私と一緒の当番よ!サボられたら私がきつくなるし、委員の仕事も
ちゃんとしなさい!」
「………先輩と一緒なら、しますよ。」
いやに素直な彼の返事に、なんとなく拍子抜けしてしまう。
怒りのやり場が余計になくなって、怒りのボルテージが急速に下がっていった。
それとは逆に、別の意味で心臓の奥が熱くなる。
今……私と一緒ならって言わなかったか?
「先輩は毎日のようにテニスコートに通って不二先輩を目で追ってたみたいだけど、
俺はいつもそんな先輩を見てた。」
「……は?…ちょっと、いきなり何よ、それ…。」
そこまで私が言うと、フェンスを握っていた上から手を握られる。
「不二先輩のこと忘れたら………俺を見て。」
不覚にも、ドキンと心臓が高鳴る。
「それに、先輩の泣き腫らした顔を魅力的なんて思うの、俺だけっスよ。きっと。」
しばらくの間、越前からの言葉が頭を巡って、他に何も考えられなくなった。
終
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