今日も大佐にこき使われ、軍部中を走り回っていた。
     そんな私が私が陛下からの書状を受け取ったのは、太陽も中天を超えた昼過ぎのことだった。
     いや、正確に言うならば、その存在を知ったのは…だ。
     セントビナー宛の書状を伝書鳩に託して飛ばし、ようやく一息つけるとばかりに
     執務室へ戻ると、私が座るべき席に大佐が座り、部下に淹れさせたらしきコーヒーを
     すすりながら優雅に足を組んで私を待っていた。
     私を目にするとカップをゆっくりとソーサーに置き、一枚の紙を私の方へと傾ける。


    「お疲れ様です、中佐。渡し遅れましたが、陛下から貴方に書が届いてますよ。
     朝、一番に届いていたようですがね。」

    「朝一番?しかも陛下からですか!?何で早く教えてくださらなかったんですか!」

    「申し訳御座いません。私も多忙だったもので、書状の存在に気づくのが遅れてしまったのですよ
     私ももう歳ですかねぇ。」

    「………………とり急ぎ確認いたします。」


     私の反応を見るようにからかい気味の口調で話すところを見ると、
     渡し遅れたのはわざとのようだ。
     陛下からの書状には皇帝印というものがついていて、その書類を処理するのは
     他のどの書類よりも最優先事項と決められている。つまり、気づくのが遅れるということは、
     まずありえない
のだ。
     何故、陛下からの書類だというのにそんなことをするのだろうか…。
     あまりの忙しさに昼食もまだであったが、陛下からの書に急を要することが
     書かれているならば、これ以上お待たするわけにはいかない。
     まぁ、他にも仕事はたまっているので、昼食を口するのもどうせ、
     随分後になってしまうだろうけれど。
     私がその書状を受け取ろうと手を差し出すと、まるで大佐はお預けをするかのように
     さっとそれを高く掲げた。
     そして私が差し出した手には、お手をするみたいにもう片方の手を置いてくる。


    「カーティス大佐!?」

    「昼食はまだでしょう。私もまだなんです。ご一緒しませんか?」


     どうもそれは交換条件らしい。つまり、昼食を一緒にとるのなら、陛下からの書類を渡しますよ、
     と言う意味を込めている。
     大佐はわざとらしく陛下の書類を私の眼前へちらつかせて来た。
     陛下の書状を盾にされては、断れるはずがないことをわかっていてやってるのだ。
     くぅぅ…腹立たしい…。けど、ここは折れるしかない。


    「………わかりました。ご一緒します。」


    「では、行きましょうか、中佐。」


     いつもの笑みを浮かべる大佐の後ろで、私は小さくため息をついた。




     良い店があると聞かされて辿り着いたのは、グランコグマ内の酒場だった。
     ここは落ち着いた雰囲気の酒場で、私も一度か二度は足を運んだことがある。
     静かに流れるジャズの音が耳に心地良い。
     けど、昼間からなんで酒場なんかに…。
     そんな私の思考を見透かしたかのように、扉を開けかけていた大佐が振り向いた。


    「昼間からお酒を飲むわけではありませんよ?」

    「頼まれたって飲みません。まだ仕事があるんですから。」

    「おや。しっかりした部下で頼もしい限りです。」


     大佐は、本当にそう思ってくれているのか疑わしい笑みを浮かべる。
     何でこんなにわかりにくい人の部下なんだろう、私…。


     大佐がカウンター席に座ると、私は勧められるままにその横の席に座った。
     マスターが大佐とその横に座る私を見遣ると、何を思ったのかニコニコと笑みを浮かべる。
     私がその誤解を解こうと口を開くと、大佐がそれを遮るように話しだした。


    「ここは、昼間は食事処にもなっていて、お昼はここでとることも多いんですよ。
     マスター、いつもの御願いします。」

    「いつものアレですね。お嬢さんは何にしますか?」


     慣れた感じで大佐は注文を済ませると、メニューを私に手渡す。
     周囲を見回すと、食事処ならお昼はさぞ多くの人で混雑しているだろうと思うけど、
     もうお昼の時間からだいぶ経っているせいか、お客さんの数も少なかった。
     お嬢さんなんて久しぶりに呼ばれた気がする。誤解を解こうとしていたことも忘れ、
     久しぶりの感覚にドキドキしながら、メニューの中の日替わりランチセットを選んだ。
     野菜サラダ、魚のフライ、パン、スープのセット。
     カロリーも少なめで、ちょうど良いセットだ。
     メニューを見ただけでおなかが減ってきた。
     あまりの仕事の多さにお昼抜きになることも覚悟していたけど、こうして食事をとれるのは
     ありがたい。

     注文をし終えて、出されたグラスの水を飲んで一息つくと、ある疑問が浮かんだ。


    「大佐は何故、軍部内にある食堂で食事なさらないんですか?」


     大佐はここでお昼をとることが多いと言った。
     でも軍部内にもメニュー豊富な食堂があり、仕事をする上でもそこで食事した方が
     便利なはず。食事を終えてすぐ仕事にとりかかれるからだ。
     だから何故、わざわざここで食事をとるんだろうって思うんだけど…。
     大佐は頬杖をついて軽く息を吐くと、顔だけ私の方に向け、質問に応えてくれた。

     
    「あそこで食事を取ると息が詰まるんですよ。食事中に仕事の話を持ってくる輩もいますし。
     食事の時ぐらいは、仕事のことを忘れてリラックスしたいんです。」

    「なるほど、確かにそうですね。」

     
     大佐くらいになると、任される仕事の量も重要度もはんぱではない。
     確かに、軍に居たら、落ち着く暇もないかもしれない。
     …ん、あれ…?でも、仕事で忙しいはずなのに私の机のとこでコーヒーを飲んでた。
     しかも、もうお昼の時間もだいぶ過ぎてて、とっくにお昼をすませていてもいいはず。
     なのに…………。


    「中佐は、リラックスできていますか?」

    「え…?」


     突然、何を言い出すんだろうと、大佐の言葉にぽかんとしてしまう。

 
    「リラックス出来ていませんか。」


     再度言われた言葉に、慌てて取り成すように返事した。


    「いえ、リラックスできてます!」

    「それはよかったです。」
       

     安心したように口元を緩める大佐。


     あぁ、そうか。


     私は、今日の大佐の行動の意味に気づいた。
     私の為だ。

     恐らく、大佐に食事に誘われなかったならば、昼食を抜きにしてでも
     仕事を遂行していただろう。
     そんな私を心配して、食事に誘ってくれたんだ。

     今日は、大佐の株が、ちょっとだけ上がった。



     食事を終えて執務室に戻る途中、私は先程のことを思い出した。
     陛下からの書状のこと。
     すっかり忘れていた自分を反省すると共に、慌てて大佐に声をかける。


    「大佐!約束の書状を!」

    「ああ、すっかり忘れていました。」


     自分も人のことは言えないが、大佐も大佐だ。陛下からの書状に、少しは緊張感を
     持って欲しい。
     大佐が差し出した書状を奪うように受け取って覗き込む。




    『


       今日、昼食でも一緒に食おう。待ってるぞ。


                              ピオニー・ウパラ・マルクト9世』


       

     陛下と…昼食……?


     書状の中身を知って、わなわなと震える。陛下から昼食のお誘い。
     書状の内容がソレだとは露知らず、大佐と昼食をとってしまった…。
     陛下との昼食など恐れ多いけれど、知っていたならば昼食に立ち会うくらいならした。
     それをわざと渡し遅れるなんて!本当に、何てことをするんだ、この大佐は!
     陛下への不敬罪も甚だしい!
     大佐のあがった株も、一気に急降下。
     私が怒りに震えながら声をはりあげようと口を開くと、大佐はそれを遮るように、
     ニンマリと笑みを浮かべ、こう言った。
 

    「言い遅れましたが……陛下にはすでに、『中佐は多忙の為、行けない』という旨を
     伝えてあります。」


     一瞬の間。
     大佐の言葉を、頭の中で何度か反芻させてやっと意味がのみこめた。



    「……………っっっ!!それを早くおっしゃって下さい!!」



     私はどっと疲れがでて、背もたれに体重を預けた。
     どうにも、ジェイド・カーティス大佐には勝てそうにない。いや、勝とうと思うこと自体が
     おこがましいのだ。
     いちおうフォローしようとでも言うのか、大佐は続ける。


    「陛下の食事になど付き合ったら、適当な理由をつけて夕方まで長居させられて、残った仕事を
     片付ける為に夜は残業になるのが落ちです。貴方の仕事が遅れると、私にまで支障が
     及びますからね。」


     要するに、自分が残業するのがイヤなわけだ。私のことを思ってのことなのかと思いきや、
     自分のことを考えての行動なのだ。あくまで自分が主体な考え方に、私は頭が痛くなった。


    「それに…。」


     話の筋からもうその話は終わったのだと思ったが、大佐の言葉が続くので慌てて耳を傾ける。


    「それに…何ですか?」


     私が聞き返すと、大佐はまるで内緒話でもするかのように私に顔を近づけ、耳元でさらっと答えた。


    「それに、中佐と一度、昼食を共にしてみたいと思っていたものですから。」


     その言葉に深い意味が込められているのか、それともただ単なる部下として扱ってのことなのか。
     いつものあの笑みを湛えたあの表情からは、真意がまったく読み取れない。
     流石、年の功。見事なフォローだ。
     からかわれているのだと自分に言い聞かせてみても頬の火照りをおさえることが出来ず、
     やっぱり大佐には勝てないと改めて思った。



         終


      
       おまけ


   「ところで中佐。貴方のことをファーストネームで呼んでもかまいませんか?」

   「えぇ、かまいませんけど…急にどうしたんですか?」

   「急にというより、少し前から思っていたんです。貴方は私の部下だというのに、
      ずっとラストネームで呼んでいたら、なんだか他人行儀な気がしたもので。」

   「カーティス大佐がそう思うのであれば、好きになさってください。」

   「ええ、そうします。では中佐も、私のことをジェイド大佐と呼んでくださいね。」

   「わ…私もですか?」

   「そうですよ。だって私だけでは不公平でしょう?」

   「…………わかりました、ジェイド大佐。」