出会いとはじまり
「おはようございます。本日付で、第三師団に配属になりました。
・と申します。今後とも宜しく御願いいたします。」
新しく自分の上司となる大佐に敬礼すると、彼は手にしていた書類を
机に置いて立ち上がり、私のすぐ目の前へと歩を進めた。歩を進める度に、
あの長い滑らかな髪がさらりと肩から流れ落ち、
あの緋色の瞳が私を見据える。
本当に強い人間というのは、武芸を学んでいる者なら、その足捌きだけで
その強さがわかる。大佐のその足の運びは寸分の無駄も隙も無く、
突然の賊の奇襲にあったとしてもすぐに対応出来る様で、今まで敵と剣を交えた経験の
豊富さと、その強さを感じた。
流石、死霊使いと呼ばれているだけのことはある。
しかしそれに感心すると同時に、わかることもある。
キムラスカと平和調停を結び、その上自国の軍部に居て敵襲もなかなかありえない
状況の今であっても、少しも気を緩ませていないということになる。
噂では大抵笑みをたやさないと聞いていたが、確かにそのようだ。
私がノックして執務室に入った時は気難しい顔で書類に目を通していたが、
私と目があうとすぐに表情筋を緩めた。もしやそれも表情で心のうちを悟られぬよう、
気を張っているのだろうか。
しかしそれも、推測にすぎないが。
大佐は私の1メートルほど手前に立つと、先程と一寸も変わらぬ笑顔で対応した。
「中佐は先日まで第六師団におりましたから、こうして顔を合わせるのは、
はじめてですね。先日の盗賊団討伐、お見事でした。その功績により少佐から中佐への昇格、
我が第三師団への栄転とのことでしたね。歓迎しますよ。」
大佐はそう言って私の方へ右手を差し出したので、私は慌てながらも即座に手を伸ばした。
相手はあの皇帝の懐刀とも呼ばれるジェイド・カーティス大佐だ。彼の師団に入れるのは
大変名誉なことであり、その上握手出来るとあっては慌てないはずがない。
手に汗などかいていないか不安なったが、無駄な心配だった。カーティス大佐も自分も手袋を
はめているので、汗をかいていたとしてもわかるはずがない。
手袋ごしに微かに感じる体温で、改めてこれが夢ではないのだと感じられた。
「ではこの書類をジェイド大佐にお返しします。」
「有難う御座います。では失礼いたします。」
フリングス少将のサインのついた書類を受け取りファイルに納めると、
敬礼してその場を辞した。
私は、新しい仕事場に慣れるまでは、大佐が直々に仕事の指導をして下さることになり、
大佐のいわば使いっぱしりのようなことをしていた。
『○○師団の大佐から書類を受け取りに行くように』とか、『○○少将からサインを
受け取って来るように』とか、『お茶の葉がないから街に言って買って来るように』など、
まるで大佐専用の使用人になった気さえする。
最初は「なんで私がこんなことを」と不満をもらしそうにもなったが、次第にソレの意味に
気づいていった。
私はここに配属される前は、入隊後からずっとカイツールに駐留する軍部に居た為、
グランコグマ内はおろか、マルクト軍基地本部内に居ることもほとんどなかった。
その為、地理もよくわからず、初めて大佐の執務室に行った時も、地図で細かく確認しながらだった。
そんな私の為に、マルクト内の地理を覚えるように様々なところに行かせていたのだと思う。
そのおかげで、私はあっという間にここの地理を把握した。
分かりにくいけれどさりげない優しさに、私は尊敬の気持ちを強く抱いた。
書類を入れたファイルを小脇に挟んで大佐の執務室へ向かうと、執務室の扉の前で、
見知らぬ男が隙間から中を覗いていた。後ろ姿からしか判断出来ないが、上等の絹などをふんだんに
使った衣服を纏い、頭から足の爪の先まで綺麗に整えられたその姿は、軍の人間というよりは
貴族という感じだ。
「そこで何をしているんですか?」
本来ならもっと強い口調で言うべきなのだろうが、私は少し考えて、柔らかめな口調で尋ねた。
軍にまったく関係の無い人物なら、まず入り口にいる兵に見咎められる。
たとえ何らかの条件がそろってソレから逃れてここまで来たのだとしても、推測ではあるが、
あくまで相手は貴族だ。自分は平凡な家の出であるし、貴族と平民、たとえ軍の人間であろうとも、
その地位は天と地の差がある。大げさに騒ぎ立てて不敬罪にされる
なんてたまったものではない。だから多少控えめに声をかけたのだ。
相手は金の髪をふわっと揺らせてこちらを振り返ると、人差し指を口の前で立てると小声で応えた。
「しーーーー!静かに。ジェイドにばれるジェイドにばれる。」
「大佐にばれては、何かまずいのですか?それよりも、貴方は誰ですか?」
「誰って………俺がわからないのか?」
「ええ、わかりません…けど。」
私がそう答えると、相手は大げさに肩を落とした。このような反応をするということは、
私が知っていて当然の相手、あるいは相手が『自分は有名だ』と自意識過剰であるかのどちらかだ。
相手の顔が自分の記憶に無いか考えをめぐらせてみると、なんとなく見たことがあるような
無いような感じではっきりしない。
喉に小骨がひっかかってとれないような、視界に霞がかかったようなこの感じが苦しくてならない。
「あー、無理に思い出さなくてもいい。女性にそんな苦しそうな顔をさせるのは、俺はイヤだ。」
「申し訳ありません。思い出せそうで思い出せないのです。」
私があまりに困ったような顔をしていたのだろう。私の気持ちを推し測ってか、許してくれたようだ。
それにしても一体、誰だろう。一度気になると、気になって仕方が無くなる。
そういえば、大佐のことを『ジェイド』と親しげに呼んでいる。大佐の上官、あるいは昔からの親友だろうか。
ふと、そこで何かがひっかかった。
その二つ共に当てはまる人物。
貴族。上等な服。綺麗に整えられた姿。あの金髪。
これに当たる人物が、思い当たった。
まさか…もしかして…もしや。
そこまで考えて、途端に顔面が蒼白になった。
「中佐、仕事が進みませんからはやくその書類を下さい。そして、陛下。そこに居るのは
分かっています。入るならさっさと入ってください。」
金髪の男性が、それ以上開かないよう、それ以上閉じないようにおさえていた扉がやすやすと開かれ、
ポケットに手を突っ込んで苦々しげにこちらを見つめる大佐の顔がそこにあった。
「もうしわけありませんでした、陛下!陛下を守るべき軍の人間が陛下の顔を覚えていないなど、
極刑に値する行為です。誠に申し訳御座いませんでした!」
私が最敬礼をして平身低頭で謝ると、陛下はさほど気にした様子もなく穏やかに答えた。
「気にするな、気にするな。聞けば、入隊以来ずっとカイツールの駐留軍に居たって話だろ。入隊式で
たった一度見た程度だろうし、覚えてないのも無理ない。俺が許すって言ってるんだから気にするな。」
「陛下の言うとおりですよ。こんな風に、暇さえあればお忍びで私の執務室に来るような人間など、
気にする必要ありません。」
「ちょっと待て、ジェイド。これでもおまえを雇っている主である一国の王に、そんな口を聞くのか。」
「おや、お気に障るようでしたら申し訳ありません、陛下。どうも嘘をつけない体質なので。それに、
嘘をつくと
鼻が伸びるといいますでしょう?」
「おまえはピノキオか!それにおまえが嘘をつくと鼻が伸びる体質なら、とっくにおまえの鼻は100メートルには
なってるはずだ!」
どうも2人の会話を聞いていると、子供同士のケンカのように聞こえてならない。ただそのケンカというのも
片方の一方通行で、もう片方はまったくと言っていいほど気にしておらず、暖簾にうでおし状態だが。
「まぁ、ともかく。気にする必要はない。」
「けれど、それでは私の気がおさまりません。」
私がいつまでたっても頑固に引き下がらない為か、やっと陛下は少し折れて下さった。
「んーそれなら、名前を借りてもいいか?」
「名前…ですか?別にかまいませんが。」
私の名前を一体、何に使うというのだろう?
陛下には妃はおろか、世継ぎもいらっしゃらないし、世継ぎに女児がお生まれになった際、私の名前を
使うとでも言うのだろうか。その程度ですむなら、安いことだ。
すると大佐が、私と陛下の会話に割って入った。
「まさかとは思いますが、中佐の名前をブウサギにつけるおつもりですか?」
「流石、ジェイド。よくわかってるな。」
「陛下のブウサギに名前をつけられることは、オールドラント最高の不名誉ですよ。」
「最高の不名誉…ですか?名誉ではなくて。」
そういえば、それも噂で聞いたことがあった。陛下は数匹のブウサギをペットとして
大変可愛がられており、素晴らしい功績を残した部下にはブウサギを賜ったこともあるとか。
その為、グランコグマの料理店や宿では、陛下のことを考え、ブウサギ料理を一切出さないと
聞いている。それほど大切にされている陛下のブウサギに名前をつけられるのは、
大変名誉なことだと思うけど…。
「では、もし貴方の名前をつけられて、『が道でフンと落とした』とか、『が陛下に体当たりして、
衣服を汚した』などと騒がれても、文句を言わないんですね?」
「うっ……それは…。」
そう言われて考えてみると、想像するだけで頭が痛くなる。そんな風に騒がれては、
そのブウサギのした行為が、人間でもするような行為であったりするならば、私がしたと勘違いする輩も
少なからず居るかもしれない。
陛下には悪いけれど、大佐の言う通り、確かに不名誉だ。
「陛下…ブウサギに名前をつける以外のことで御願い出来ますか?」
私が陛下を傷つけないよう顔色を見ながら尋ねると、陛下は不服そうに眉根を寄せた。
「ったく、ジェイドの奴…余計なこと言いやがって。なら、俺の妃にでもなるか。」
「き・・・ききききききききききき妃!?」
「陛下、まるで今日の夕食の献立を決めるような、軽いノリで妃を決めるのはやめてください。」
私が陛下の妃になるなんて、王族と平民出の軍人、身分違いも甚だしい。冗談とはわかっているけれど、
驚くなと言う方が無理な話だ。こうして近距離で話すことも恐れ多いというのに。
陛下はわずらわしそうに、まるで顔にたかるハエをはらうように、しっしと大佐に手を振ってみせた。
「いちいち五月蝿い奴だ、ジェイドは。それなら今度までに何か考えておく。楽しみにしておけ。」
そう言うと、先程までの大佐への態度とはうってかわって、陛下は私にニッと笑みを浮かべた。
今度という機会があるのかも謎だが、今ままでの様子から見てろくなことは言われないだろうと予想できる。
何を言われるか、相当の覚悟をしておく必要があるように思えた。
今までカイツールの居たせいもあるが、陛下に近くでお目通りになれるのは中佐以上の人間であり、
こんな方だと知ることもなかった。全ての部下にこのような態度をとられるのか、それとも親友である
大佐が居るからこのような態度をとられるのか。どちらにせよ、今までの王族というものに対する知識を
総入れ替えする必要がありそうだ。
終
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